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習っていても自分が求める音楽に近づいていかない場合があります。極端な例ですが、ジャズヴァイオリンをやりたいのにクラシックの先生に習っては求める音楽にはならないでしょう。クラシック音楽の中でも近年は特にバロック音楽の演奏スタイルが大きく変わりつつあります。現代のバロック演奏のように弾きたいのに、20世紀中頃のバロック音楽の弾き方を習っても、求めるイメージには一向に近づいていかないでしょう。
クラシック音楽は作曲された当時の演奏が再現されているような錯覚がありますが、案外その時々の流行に左右されて変化します。流行ですので、ある時をきっかけに世の中の常識が変わってしまう事があります。ハイフェッツが出現してスピードと音程競争を皆がするようになり、ファビオ・ビオンディのヴィヴァルディ「四季」の出現でバロック演奏のスタイルが一変しました。
すなわち昔は正しいとされていた演奏方法がある時をきっかけに正しくなくなってしまうことを意味します。流行を柔軟に追いかけて対応していくべきか、それとも旧来のやり方に固執するかはその人の考え方次第ではあります。
上手くなっているかの自己判断にはこの点は案外大事です。ひとつの演奏も見る角度によってさまざまな評価がなされるもので、同じ演奏もある人にとっては上手であっても別の人にとっては下手という事になります。その様々な評価を演奏者自身が自分で評価するのはより一層困難な事です。評価の軸が変化しうるものだから他人の評価に対して一喜一憂するのでしょう。
「ブレのない評価の軸を」は聖人君子でもない限り不可能ですが、少なくとも自分の価値観が世の中と大きく乖離していないか常にチェックする必要はあるでしょう。それが自分の演奏を適切に評価をすることにもつながるでしょう※。
※まして他人の演奏を評価する際にはなおさらで自分の価値観を常に疑う必要があります。普遍性を持った価値観では無く、単なる偏った個人的な嗜好に陥っていることはよくあるものです。