先生が怒りたくなるとき - 教える側の気持ち
しばらく、教える立場としてどんな目で生徒を見ているのかをお話ししていきたいと思います。結果としてわたしのレッスンの宣伝になるかもしれませんが、そんな狭量な意図ではありません。どの先生に習うとしても、教える側の気持ちが分かれば、より効果的にレッスンを受けられるはずと考えお伝えするものです。
今回は、「先生が怒りたくなる時」をお話ししたいと思います。
指導の一環として叱るのは別です。わたしは最近は滅多に叱りませんが、子供も教えていた時はよく叱ったものです。特に子供の場合は叱ることで上達することもあります。上達のために叱るわけで、怒っているわけではありません。
練習して来ないのは腹は立ちません。うまく弾けない場合も腹は立たないものです。それぞれに事情があるし、要領の良し悪しもあります。忙しい隙間で練習できるよう、要領をつかめるよう、指導をしていくことになります。
ですが、「学ぶ気が感じられない」のは腹が立ちます。言うことを無視するのは論外、ネットや本で仕入れた話を披露して話を聞く気の無い人なども腹が立ちます※。そう言う方は、表現や高度な技術を期待していらっしゃるのかもしれません。姿勢など極めてベーシックな話をされると気分を害するのかもしれません。
ですが、多くの方は表現以前に音色に問題があります。音色の問題は弓の動かし方や姿勢、持ち方、すなわち一番基本的な技術に根本原因があります。そしてそう言った一番基本的な技術はどんなネットや書籍の情報も充分ではありません。基礎技術から指導するのは、生徒のレベルを認めていないためではなく、うまく弾けていない根本原因が基礎技術にあるためです。
学ぶ、習うというのは、自分で気づかない問題を指摘してもらうためのものです。先生が無知に見えるかもしれませんが、そう思って「聞かない」のはレッスン料を捨てているのと同じ事です。まずは意見のひとつとして聞いて、数ヶ月はそのアイディアを試してみて頂きたい。聞いて試した上での取捨選択が、先生から多くのことを学ぶ秘訣です。
※少なくともわたしは、ネットや本に書いてある程度の主要なものは把握しているし、それらを名器・名弓を使って正誤を確認してあります。かなりの確率で正しいと言えることをお話ししている自信はあります。
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