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「ヴァイオリンがわかる!」ツイッター@violinwakaruで連載中の「短くヴァイオリンの要点!」のまとめです。文字制限のためツイッターでは一言のみですが、こちらに補足を書かせて頂きます。
”弾く位置(元弓、中弓、先弓など、もちろんその間も)はボウイングのテクニックとして、それで半分は決まると言えるくらい重要です。”
音色についても、スピッカートについても、上手く弾ける弓の位置があります。大雑把には16分音符など細かい動きは比較的弓先で弾くのが望ましいことが多いです。
”音程、ヴィブラート、音色の面で、左手も強からず弱からずの力加減が望ましいですが、強過ぎの事が多いようです。
”
左手のタッチで音色は大きく変化するものですし、ヴィブラートも押さえ方が強すぎても弱すぎてもかかりにくくなります。音程も力を入れ過ぎて手がこわばった状態では1と2の指が高くなり、3と4の指が低くなりがちになるケースが多く見られます。
”適度な力加減はもちろん強からず弱からずですが、一般論としては強過ぎの事が多いようです。”
力が強すぎるというのは、弓の圧力だけでなく、弓が速過ぎたり、腕の筋肉が硬直していたり、左手を押さえ過ぎていたりなども含みます。いずれも弱過ぎの方よりも強過ぎのケースが目立ちます。
”練習は自分の世界に閉じこもりがちになるものですが、他人に聴かせる前提で練習を行う事が上達につながります。”
演劇やスピーチの練習で台本を覚えたり台本通りに読み上げるのはもちろんとして、聴き手に伝わるように語りかける事が練習の前提になるはずです。自分の世界で完結するのではなく、聴いている人に話しかけ音楽によって組み上げられた世界を映し出そうとするのが練習と言えます。
”リズムの理屈の理解は楽典中で最重要課題のひとつです。リズムは分数で考えることが出来ます。単位となる音符の何倍かを数えながら理解するのが結局は近道です。”
ヴァイオリン弾きはリズムを数えるのが苦手な傾向にあるように思えます。どの技術レベルにあってもリズムは丁寧に数えることが理解の近道と言えます。何となくの雰囲気ではなく数学的に単位となる音符がいくつ分なのかを理解し、まず口で歌えるようにすることが正しいリズムで弾くには必要です。
”表現は思いつきの味付けをすることではなく、素材の良さを生かし効果的に引き出すことです。”
一般的に誤解があるように思えますが、勝手に強弱やテンポの変化など楽譜に無い表情を積極的に付けることが表現ではありませんし、あまり良い結果にはならないようです。
”良い楽器・弓を見つけるには、まず名品とされるものを弾いてみることが最も近道です。”
良いとされるものを弾いてみてはじめて手がかりが得られるものです。高額なものを弾かせてもらうのは勇気のいることですが、良い楽器の音や感触を知ってそれに似た楽器を探すのが近道と言えます。
”ヴァイオリンの取り扱いに気を配る目的は音を維持するためと考えるべきです。”
音を維持するためと考えれば、なぜ弦や弓の毛を交換しなければならないか、駒の角度に注意を払わなければならないか、その頻度やさじ加減にも意味が出てきます。これが目的を失って儀式化したり、目的がすり替わって外観や骨董価値を維持向上させるためと考えてしまうと、おかしな事になってしまいます。
”レッスンは先生が生徒を背負って行くのではなく、生徒が自分で歩き進められるよう進むべき方向を示し環境を整えるものです。”
教わる側を教える側が支配するようなことも一般論としては多いですし、それについていけば目的地に到達出来るかもしれません。ですが、教える側の道案内は参考にしつつも、あちこち迷いながらもご自分が主体となってご自分の力で進んで欲しいと願います。その機会や環境を提供するのが教える側の役割と思います。
”先に最上級を求めるのは趣味的ではないと思いますが、まず時代を超えて聴き継がれる名演を聴くべきです。ハイフェッツは今でも聴くべき演奏家と思います。”
新しい音源や若い演奏家が多数出てきますし、それを否定するわけではありませんが、歴史の審判を経た演奏をまずはぜひ聴いて頂きたいと思います。古めかしい部分もあれどハイフェッツやオイストラフ、若き日のメニューインなどは今も輝きを失ってはいません。
”ヴァイオリン弾きの間の人間関係は相手に苛烈なものになりがちです。”
競争の激しさや練習の厳しさのためか、ヴァイオリニスト間の人間関係は、努力不足の相手を非難したり、自身が信じるところと違う相手を排斥しがちな了見の狭い態度が現実です。自分もその思考パターンを持ってはいるのですが、それがヴァイオリン弾きに特徴的・典型的なパーソナリティとしたら残念です。