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16/3/1 生きた音、死んだ音

生きた音、死んだ音

3月1日は5月分の予約開始日。既に140コマほどの大変に多くのご予約を頂き有難うございました。今年はゴールデンウィークをレッスン日にしたためか、東京レッスンの普通の土日に少し余裕が出たようでご不便の解消につながっていればと願っております。今月もどうぞよろしくお願い致します。

日曜日・月曜日は愛知にてレッスン。日曜日はイレギュラーなスケジュールながら9コマと満員大御礼、月曜日は初めてお越しの方もおられわたしも緊張をしながら8コマと大入りとなりました。お越し頂いた皆様有難うございました。

音楽を行う大きな目的として「美の追究」があると思う。「美」その対義語としての「醜」とは。究極の命題ではあるが、それは「生」と「死」にある程度置き換えることができるとも思える。老いや死を感じさせるものは概して「醜」とも言えるだろう。そして、かつての武士道的な「美しい死」だったり「ぱっと咲いてぱっと散る」は、死を「醜」なものと認識した上での美意識なのだろう。そう言えば「侘び寂び」の美意識も「死」の中の「生」であると気づかされる。

レッスンで「生きた音」でとお話しすることはとても多い。どんなに表情を付けて弾いても、音自体が死んでいては骸骨の踊りのようなもの(サン=サーンスの「死の舞踏」もあるが)。音自体が生きていることが音楽に生命を宿らせる。それは単純に「生き生きとした明るく元気な音」だけではない。憂鬱さや悲しみの音もあって音楽自身が生き物として動き始めるための音。

音楽的な「生」は何かを感じさせて、音楽的な「死」は「無表情」「何も感じさせない」ことだろうか。膨らんだ状態の風船は状態の変化が無くても空気による内圧を感じ取れることで「生」を感じさせ、しぼんだ風船は「死」を感じさせるようなイメージだろうか。しぼんだ風船を並べても生きた音楽は生まれないだろう。

きれいにまとまりませんが、「どうやったら生きた音楽にできるかな」「生きた音をどう使ったら美しく弾くことにつながるかな」を漠然と考えながらここのところやっております。今月もどうぞよろしくお願い致します。

 



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