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水曜日・木曜日はレッスン。非常に多くの方にお越し下さり有難うございました。また「ヴァイオリンがわかる!」を配信するサーバも無事レンタルサーバに切り替えることができ、ひと段落しました。
とある方にお話させて頂いたこと。全部の音をきちんと弾くということ。音楽もコミュニケーションのひとつで、相手に伝えることができて成り立つものと言える。聴き手に全ての音がきちんと伝わるようにといったお話をさせて頂いた。これだけですごく伝わる演奏になった。
また、とある方には、あまり手元(弦と弓の接点)を見過ぎないようにとお話しさせて頂いた。意識的に右手を見て頂いたら音色も向上したし、弓もむしろまっすぐ動くようになった。
楽器を弾くという行為を意識化し過ぎるのは好ましくないことなんだなあと。
出来る限り筋肉を張っていない動き(平たく言えば自然な動き)が最も力のある音が出るし、表現も恣意的に表情を付けるよりは楽譜の指定通りに弾く方が力がある。手がどのように動いているかを理解するよりも、伝わるように弾く方が音にも力が出る。
この感じをどうお伝えしたらいいのか。歌を歌うときに声帯を何ミリ絞ってという議論が無意味なようなものだろうか。演奏技術そのもの過度に意識するとむしろ弾けなくなってしまう気がする。ほどほどが丁度いいのだけれども・・・。
最近購入したストラディヴァリの本を眺める。非常に多くの発見がある。1690年代のロングストラド以外にも胴体が360mmの楽器があるし、ストラドらしくないストラドもある(後期の息子たちの手が多く入ったものは有名だけれども、デルジェスに見えるようなものすらある。形だけでなく、パフリングの切り込みを含め)。
よくストラディヴァリ型、グァルネリ型といった楽器があるが、あまり意味のないことかなあと思う。ストラディヴァリだっていろいろ、グァルネリだっていろいろ、人生いろいろ(^^;。
楽器を見るときに〜作という情報は意味があまりないことなのかもなあと思ったり。プレイヤーの立場としては楽器の良し悪し・音の良し悪しだけを見れば良いのかなと(楽器店の立場だったら値段をつけなければならないからそうも言っていられないのだろうけれど)。
Violin Iconography of Antonio Stradivari(400本のストラディヴァリが掲載されている写真集:モノクロだけど)と合わせてみてみると、かなり見え方が違う楽器もあり興味深い。
ストラディヴァリだけではなく、楽器を見ることに関しても多くの発見があります(^^)。